フィリピン戦没者慰霊巡拝

     " お兄さん  迎えに参りました "

一通の手紙を手にして、親 兄弟を代表して、フィリピンで戦死した兄の地に訪れた主人

勤兄さん   弟の剛です。兄さんが出征された、昭和19年3月19日は、故郷南房総は
大雪でしたね。  出征される3日前 ・・・ 横須賀より帰省しました。

出征する前の晩、勤兄さんと一緒の布団で抱かれて寝たこと ・・・・ あの時の
肌のぬくもり ・・・ 今でも懐かしく思い出します。 いつも忘れたことはありません。
その時、私は、9歳でした。   
出征する大雪の降りしきる朝 ・・ 玄関の土間に座り、靴の紐をむすびながら ・・・
" 長男さえ 生きて帰ってきて、家を継いでくれれば、俺なんか、どうなってもいいんだ "
と、ポツリと一言、言い残して出征しました。
若干20歳でしたね ・・・
あれから63年の月日がたちました。

この度,戦没者慰霊団の一員として、激戦地だった、フィリピン レイテ島 ( リモン峠 )
の慰霊に参加することが出来ました。 親兄弟を代表して、勤兄さんの慰霊に参りました。
勤兄さんを迎えに来るのが遅くなり、ただただ、申し訳なく思います。
今回、ようやく念願がかない、この地に訪れることが出来、一入感慨深いものがあります。

兄さん、どんなに心細く、寂しい想いで、どのような状況の中で、戦死なされたのか
無念だったのではないでしょうか ・・・・ 兄さんが戦死したとの報を受け ・・・
白い布でくるまれた小さな箱が届きました。
お母さんの " 開けるんじゃない " の言葉を振り切り ・・・ そっと開けました。
そこには " レイテの血にまみれた砂 " のメモとともに、少しだけ "  砂 " が
入ってました。  " だから開けるんじゃないって言ったのに " と言いながら ・・・
お母さんは、泣き崩れていました。 

お父さんは87歳  お母さんは102歳で旅立ちました。10人兄弟の7人まで
旅立ってしまいました。 お兄さん  天国で会いましたか ~ 分かりましたか ???

お兄さん 帰ろう・・一緒に故郷に帰ろう  3人の兄弟が待っているよ ・・・・。

一緒に墓参に参加した一人 ・・・ お父さんが戦死したとき、まだお母さんのお腹の
中にいたとか ・・・・ " お父さ ---ん " と 一言叫び 泣き崩れていたとか ///

朝日新聞に、実際 レイテ島で戦争体験をして、かろうじて生き延びて帰ってきた
根本さんという人が書かれた ( 生き延びて 真実を知る ) の記事が載っていました。

15キロの背のうと銃を身につけ、十二階段を駆け登って飛び降りたが、本物の
戦闘はどんなものか分かってなかった。 陸軍大将の ( 第一師団が行けば米軍
など一週間で撃減できる ) の訓示が今も忘れられない。 ( 何だそうかと、初めての
戦闘ではりきってしまった。  11月1日レイテ島に上陸。リモン峠へ向かう道すがら
会うのは、血だらけの敗残兵、路上には戦士体が放置されたままだった。

( 何で放っておくんだ 上官も嘘をつくのか ) 初めて芽生えた不信と不安が的中した。

砲弾が雨のように注ぐ夜、同僚と二人身を隠し続けた。 星も月も見えない闇に、
切れ目のない爆撃音 ( 相手は30連発の自動小銃で、3~4万人。こっちは
2.000人程度 ・・・ かなうわけなどない ) うたれた兵士たちは皆 ( お母さん )
と、うめき苦しんでいた。 ( 天皇陛下万歳 ) の声は聞こえなかった ・・・・
皆、家族の写真を握り締め ・・・ 息絶えた ・・・・・。

中隊 193名の中で生き延びたのは ・・・ ただ 一人だった。

その後、毎年のようにレイテ島に通い、約3.000体の遺骨を収集した。
仲間に生かされた ・・・・ せめてもの 恩返しである。

戦争を実際に体験した人にしか分からない事です。  仲間の遺骨収集 ////
どんな想いでなさったことでしょう。 

10人の子供を生み  3人の子供を戦地に送らなければならなかったお義母さん 
どんなに ・・・ どんなに辛い思いをされた事でしょう ・・・・。


c0111581_6392017.jpg

           この世に 一枚しかない  勤兄さんの写真
c0111581_23175727.jpg

      現地の人が当時の日本人の兵隊さんの写真を持っていました
c0111581_214984.jpg

    今も 戦争で使われた 機関銃がひっそりと、置かれてました。
c0111581_2326657.jpg

                お兄さんの 慰霊巡拝墓参にて 弟の主人           
[PR]
Commented by piesuke3 at 2007-04-11 19:33 x
noripdaianaさん、始め、皆様、日本はまた戦争をする国へと向かうのでしょうか?・・・亡くなった、私の父や叔父からも戦争のことは聞きましたが、本当にやめてほしい・・・・
Commented by kikue1017 at 2007-04-11 21:27
戦争の話はとてもインパクトが強いですね。
戦後産まれの私も、父や叔父達から悲惨さを聞いていますので、
絶対に今後起こして欲しくありませんね。
息子を戦争に・・・なんてどんな事あっても嫌ですね。
当時の母親の気持ちは、言葉に表現出来ない程だった事でしょうね。
広島出身の主人と結婚して「原爆ドーム」を何回も訪れ悲惨さを痛感
しています。   平和な日々が続きますように・・・
犠牲になられた方々の為にも!       おくさまより
Commented by noripdaiana at 2007-04-12 20:09
おくさま  いつもブログ見て頂きそして優しいコメント有難うございます。私達は戦後生まれで戦争の事は聞いた事しか分かりませんが、私の故郷鹿児島は、知覧と鹿屋で、若き特攻隊が命を落としています。亡くなられた方の写真と最後の手紙を見るたび・・涙
が出ます。初恋の人が知覧の特攻隊記念館に写真が残されていて、会いに行かれた人もいます。フィリピンで命を落とした。主人の弟は
誰にも知られることなく、この世から葬られました。私はお兄さんの供養をかねて、こんな人もいたんですよ・・・と、今回ブログで紹介させて頂きました。心よりお兄さんのご冥福をお祈りしたい
ます。ブログ見ていただいた方、有難うございました
Commented by cheery at 2007-04-16 13:18 x
何度も涙で文字が霞みました。どんなことがあっても戦争だけは
反対しなくてはなりません。長崎育ちの私は奇跡的に原爆に合わずに
助かりましたが、原爆の焼け野原は忘れることが出来ません。
知人の娘さん家族全員(可愛い盛りのお孫さんも)沖縄で自ら命を
絶たれたのです。何より大切な命を、どんな思いで死んでいった
ことでしょう。時々このようなブログを読ませて戴いて、平和の
有り難さ、命の有り難さを、再認識したいものです。
Commented by すみれ at 2007-04-16 17:09 x
戦後生まれのnoripdaianaさんもこんなに身近に戦争の悲惨さを体験されていたのですね。私は子供の頃ですが東京にいたので3月10日の大空襲は夜中に東の空(池袋方面)が真っ赤に焼けてB29がブンブン旋回していた記憶があります。本当に恐ろしい事です。
ところで私のブログで大分古いところにnoripさんのコメント見つけました。ありがとうございました。お返事記しておきました。気がつかなくてごめんなさい。
Commented by noripdaiana at 2007-04-16 17:15
コメント有難うございます。戦争で犠牲になった方がいらして、
今の日本の平和があるような気が致します。生まれた時期が
悪かったとしかいいようがありません。感謝して手を合わせています。今も戦争が自爆・テロがあり、小さな子供が犠牲になっています。書き叫ぶ子供達 ///
なんとおろかな事でしょう。世界の人が平和に暮らせるのはいつ
なのでしょう・・・。ニュースを見るたび悲しくなります。
by noripdaiana | 2007-04-08 21:35 | Comments(6)

最近感じたこと ・・・ 思うこと


by noripdaiana
プロフィールを見る
画像一覧
更新通知を受け取る