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4人姉妹

   ~ 7人兄弟 ・・・・ 男3人、女4人の4人姉妹 ~
長女と4女の私とは、12歳年が離れている。それぞれ性格が違っている。
同じ親、同じ環境で育ったというのに ・・・ どうして ・・・・ 違うのか ????
いつも不思議でならない。 もって生まれた性格かしら ・・・ ???? 

長女は、穏やかで、おっとりしている。 義理堅く、人に親切にして頂いたら、必ず、
     何かの形で、お返しするタイプ ! !

次女は、のんびりや ・・・ お喋りではないが、時に言う言葉が " 的 " を得てて
     面白く、決してお世辞を言わないタイプ ! ! 母に一番似ている。
     私が、母よりも一番慕っていたらしい。遊びに行く時にもいつもついていき
     たがり、ある時、ふと気がつくと、川に落ちていたらしい・・もう少しで、死ぬ
     ところだったよ ~ と、恐ろしいことを平気で言う。

三女は、いつも明るく朗らか ・・・・ 何事が起っても動ぜず、謙虚に受け止め、
     苦労を苦労とも思わず、頑張りや タイプ ・・・ 三つ子の親です。

4女の私は ・・・ いつも、しっかりしているけど、ちゃっかりもしていると言われる。
    しっかりしているとは思わないけど、ちゃっかりしてて、仕切るのが好き !
    何事も、すぐ信じやすく、乗るタイプ ////

長女の結婚式の時、北海道から、帰省して列席していた、婿の弟 自衛官で、
真面目で丈夫そう ・・・・ その弟に母がそーーと、500円を握らせた・・・・
( 次女をヨロシク ) 2年後、気がつくと、弟と次女が結婚することに ////
先見の目のある母 ・・・ 流石です。 ここに兄弟&姉妹のカップルが誕生した。

次女のだんな様 /// 俺は、義母さんに、買収されたのだ /// ウーーーン
こんなてもあり ・・・か  \(^o^)/ でもでも・・・兄弟げんかしたら大変よ・・
姉妹の仲まで、悪くなりかねないし ・・・ チト 考え物 ----

4人姉妹の中でも、長女が一番波乱万丈の人生を送っている。 どうしてこうも、
次から次に事が起きるのか ・・・・ 神様は、本当に意地悪だと思う。

長女は、22歳の時、姑・小姑3人のいる家に嫁ぎ、苦労したらしい。
長女が嫁いだ時は、私は小学生だった。 良く姉の嫁ぎ先に遊びに行ったものです。
その頃は、川で洗濯していた。 その川では、お野菜を洗っている人もいたりして・・・
そんな思い出が懐かしく思い出される。

58歳の時・61歳の旦那様に先立たれる。 訃報を聞いて、仕事で休めなかった私は、
日帰りで、鹿児島に行き、亡くなったばかりの義兄に別れを告げた。
小学生だった私を、妹のように可愛がってくれ、よく魚釣りにも連れて行って
もらった。
それから、3年がたち・・長女の家が゛全焼  車の鍵が家の中にあったので、車を
動かすことも出来ず、車も燃え ・・・ 事もあろうに、隣の家まで全焼
着のみきのまま ・・・ 何も持ち出すことが出来ず ・・・ 命だけが助かった !

原因は、長男が亡くなり、長男の子供を仏壇の修行のためと、預かっていた ・・・ 
その子のタバコの火の不始末 ・・・
事もあろうに、その子供まで、焼死してしまった。

いくつにも、不幸が重なり ・・・・ どういうふうに、言葉をかけ、慰めていいのか ・・・
長男の子供の葬式の時も重苦しい空気が漂っていた ・・・・ 私は、長女が不憫で
たまらなかったし ・・・ 子供を亡くした、義姉の悲しみも分かる ・・・・
親戚の間の出来事だったばかりに、なんと言っていいか複雑なおもいだった。

長女は、大変だったと思う ・・・焼いてしまった、隣の家に、何度も、何度もお詫びに
行ったとか・・・せまい田舎町での出来事・・・さぞかし肩身のせまい思いをして、
生きてきた ・・・ その後も、いろいろ苦労が続き ・・・・一緒に住んでいた、
長男が東京に住むことになり ・・・ 夫婦共稼ぎでは、孫がなれない東京で、寂しい
思いをするのは忍びないと、孫の食事のお世話するため上京してきた。

私も、折角上京してきたのだから ・・・と、仕事の休みを利用して、旅行したり、
お花見に行ったり ・・・ 一緒に過ごす事が、嬉しかった。

洋裁の得意な姉は、私の孫、聖七の幼稚園に持っていく、手提げや、上履きいれを
可愛く、上手に作ってくれた。
家の中にいてばかりでは身体に良くないと ・・・ ヨガを勧める ・・・ ヨガの先生の
お話しが気に入り ・・・ 楽しいって・・・通っていた。

電話が鳴る ・・・・姉から・・・出血があってね ・・・ 検査したら
 " 子宮癌 " だって言われたよ -- 4~5 だって言われたけど、何の事 ????

どうして・・・ どうしてなの---本当にショックだった。 長い間、苦労の連続で
これから、やっと自分の時間がもてたというのに・・・・ 手術はしないで、抗癌剤と
放射線治療を行うという。

" 東京タワー "  の映画を見に行った。  お母さんと、息子の家族愛 ・・・
映画のシーンの中で、癌に侵され、抗癌剤の副作用で、ベットの上で、苦しみ、もがき
のた打ち回っている ・・・ 母親の姿に耐え切れない息子が、抗癌剤を飲むのは
止めよう ・・・ お母さん ・・・ 辛いだろう ・・・・ もう苦しまなくて良いよ ・・・・

これから、抗癌剤の治療に入る、姉の姿がダブり ・・・ 涙がとめどなくあふれた。

あんな辛い思いをしなければならないのか ・・・耐えていけるのか・・・・神様助けて
下さい。  せめてもう少し、姉と一緒に過ごせる時間を下さい。
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   ~  長女 母 次女 三女 後ろが四女~

               
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by noripdaiana | 2007-04-27 20:59 | Comments(6)

珍道中の主人との旅

              " それでは、発車しますよ ~ "

四国の名所を観光して、バスは発車した。 50メートル位走った所で、添乗員さんが、
" 隣の 旦那さんどうしたんですか ??? "

隣の座席をさりげなく見ると、主人が ??? バスの後ろを振り向くと、手を挙げて、
必死になって追いかけてくる。主人の姿が ////
添乗員 " ストップ  ストップしてくださーーーイ "   まもなく、汗をふきふき主人が
隣の座席に座り ・・・ 私をギョロリと睨む ////

" お前はなんていう女だ ・・・ 人に、のどか沸いたから、飲み物買って来てと頼んで
おいてだよ /// どうして  どうして 俺をおいてバスを発車させるんだ "
怒る 怒る  そうそう ・・・ 3分間 3分間 我慢すれば、怒りもおさまるって ////
何も、言い訳できなかった ・・・・。  

これが、自分の子供が隣に座って、バスが発車 ・・・ なんて事になったら、必死でバスを
止めるかも ----ヤッパ 主人は眼中にないってことかな ~ 薄情だった  ?

岬に行く途中、美味しそうな匂い ・・・ 見ると、炭火で焼きながら売っている " サザエ "
店の人・・・2分待ってください。  もうすぐ焼けますよ ~ 
主人 " 待っていられるかよ ~ " の言葉を残して、サッサトと行ってしまった。
店の人 " イヤー 気の短いご主人ですね ・・・ " って、あきれ顔 
主人のうしろ姿を無視して ・・・ " アア ~  美味しい " 一人残ってパクリ
( 短気は 損気って 昔から言うじゃない )

ハワイでの出来事  ・・・ 大きな、スーパーでのフリータイム  スゴーーイ でっかいねェ
チョッと、トイレに行って来るね ・・・と、言い残し ・・・ トイレに消えた ????
20分位待ったであろうか ・・・ 主人がイナイ   ( まったくしょうがないな ~ )
折角来たのだから、買い物よ  買い物しなくっちゃ ・・・ ( 買い物だい好きな私 )
お腹も空いたことだし ・・・ 美味しいもの食べよぅと ・・・ コーヒーも飲んだ !
お腹一杯になり、買い物もしたし ・・・ それにしても主人は ????
グルグルスーパーを廻っていたら、 トイレの入り口で、一人ポツリと立っている主人の姿
" ここに居たの --- "  (●^o^●) 
 " お前は、何処に行ってたんだ ・・・ 何やってんだぁー" 爆弾が頭上に落ちてきた。
俺はなぁ ・・・ 2時間  2時間もココで待ってるんだ ! !

主人は、私がトイレで倒れているのではと ・・・ 日本人らしい人に声かけて、探して
もらっていたとか ・・・ 私は、トイレに入ったは良いが、出たのが、反対から
出たらしい ・・・ ( 昔から 地理オンチな私 ・・・ ヤッパね )   反省 (#^.^#)

買い物袋を、ソット後ろに回して、うなだれていた //// 怒るだけ、怒った主人 ・・・

" お腹すいたな ~ " ・・・まさか、一人で食べてきた! なんて ! 言えなかったょ ・・・

~  怒られながら、結婚前の出来事が、脳裏を掠める ~

結婚前、私の上司だった主人には、ホント、良く怒られた ・・・・ 

部長 ・・・きのう、、今日入った社員じゃあるまいし ・・・ 何 やってるんだァ ーーー 
社員・・・本当に申し訳ございません。 済みませんでした ・・・と、ひたすら平謝り ///

でもね ~ 今は、申し訳ございません /// なんて、言わないよ ---
頭から怒られても ・・・ 何処拭く風  右 ~ 左に聞き流す //// いつまでも
自分の部下だなんて思わないでくれ ・・・・ 立場が逆になったのよ ~

        ~ 家では ・・・ 私が部長なのだ  ~

パリの地下鉄 ・・・ 主人が一人サッサト行ってしまった。 
どうして行ってしまうんだろう  ・・・・ 行き先分かっているのかな ~ 追いかけているうち
曲がり角に来て、主人の姿が消えてしまった。   あーーーァ 又すれ違い ???
今度は、私が探し回る /// 地下のホームをグルグル廻ったり、地上にでて、探し回る ///
あれこれ1時間も探し回り ・・・ もう ・・・イイャ ・・・ でも ・・・ 可哀想かな ・・・
探していたら、一人、ホームの椅子でしゃがんでいる主人 /////  ポツリと言った ! !
" 探しに来てくれてありがとう ・・・ " よほど心細かったと見える ・・・ 可愛い所も
あるじゃん ////  まったくぅ ・・・ 子供みたい 怒る気にもならない ///

お金も持っていなくて、とまるホテルの名前も覚えてなく、降りる駅の名前もわかって
いない・・・日本人らしい女性に " 私は何処に行ったらいいんですか " って聞いたとか

もう、いい ・・・ 主人との旅行はこりごりじゃ   いつも、すれ違いばかり ////

あの世に、一人 サッサといくのは良いけど・・
      
                   この世にいるときは、一人で行かないでくれ



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                ~ パリ  エッフエル塔の前デーース ~
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by noripdaiana | 2007-04-16 17:38 | Comments(9)

フィリピン戦没者慰霊巡拝

     " お兄さん  迎えに参りました "

一通の手紙を手にして、親 兄弟を代表して、フィリピンで戦死した兄の地に訪れた主人

勤兄さん   弟の剛です。兄さんが出征された、昭和19年3月19日は、故郷南房総は
大雪でしたね。  出征される3日前 ・・・ 横須賀より帰省しました。

出征する前の晩、勤兄さんと一緒の布団で抱かれて寝たこと ・・・・ あの時の
肌のぬくもり ・・・ 今でも懐かしく思い出します。 いつも忘れたことはありません。
その時、私は、9歳でした。   
出征する大雪の降りしきる朝 ・・ 玄関の土間に座り、靴の紐をむすびながら ・・・
" 長男さえ 生きて帰ってきて、家を継いでくれれば、俺なんか、どうなってもいいんだ "
と、ポツリと一言、言い残して出征しました。
若干20歳でしたね ・・・
あれから63年の月日がたちました。

この度,戦没者慰霊団の一員として、激戦地だった、フィリピン レイテ島 ( リモン峠 )
の慰霊に参加することが出来ました。 親兄弟を代表して、勤兄さんの慰霊に参りました。
勤兄さんを迎えに来るのが遅くなり、ただただ、申し訳なく思います。
今回、ようやく念願がかない、この地に訪れることが出来、一入感慨深いものがあります。

兄さん、どんなに心細く、寂しい想いで、どのような状況の中で、戦死なされたのか
無念だったのではないでしょうか ・・・・ 兄さんが戦死したとの報を受け ・・・
白い布でくるまれた小さな箱が届きました。
お母さんの " 開けるんじゃない " の言葉を振り切り ・・・ そっと開けました。
そこには " レイテの血にまみれた砂 " のメモとともに、少しだけ "  砂 " が
入ってました。  " だから開けるんじゃないって言ったのに " と言いながら ・・・
お母さんは、泣き崩れていました。 

お父さんは87歳  お母さんは102歳で旅立ちました。10人兄弟の7人まで
旅立ってしまいました。 お兄さん  天国で会いましたか ~ 分かりましたか ???

お兄さん 帰ろう・・一緒に故郷に帰ろう  3人の兄弟が待っているよ ・・・・。

一緒に墓参に参加した一人 ・・・ お父さんが戦死したとき、まだお母さんのお腹の
中にいたとか ・・・・ " お父さ ---ん " と 一言叫び 泣き崩れていたとか ///

朝日新聞に、実際 レイテ島で戦争体験をして、かろうじて生き延びて帰ってきた
根本さんという人が書かれた ( 生き延びて 真実を知る ) の記事が載っていました。

15キロの背のうと銃を身につけ、十二階段を駆け登って飛び降りたが、本物の
戦闘はどんなものか分かってなかった。 陸軍大将の ( 第一師団が行けば米軍
など一週間で撃減できる ) の訓示が今も忘れられない。 ( 何だそうかと、初めての
戦闘ではりきってしまった。  11月1日レイテ島に上陸。リモン峠へ向かう道すがら
会うのは、血だらけの敗残兵、路上には戦士体が放置されたままだった。

( 何で放っておくんだ 上官も嘘をつくのか ) 初めて芽生えた不信と不安が的中した。

砲弾が雨のように注ぐ夜、同僚と二人身を隠し続けた。 星も月も見えない闇に、
切れ目のない爆撃音 ( 相手は30連発の自動小銃で、3~4万人。こっちは
2.000人程度 ・・・ かなうわけなどない ) うたれた兵士たちは皆 ( お母さん )
と、うめき苦しんでいた。 ( 天皇陛下万歳 ) の声は聞こえなかった ・・・・
皆、家族の写真を握り締め ・・・ 息絶えた ・・・・・。

中隊 193名の中で生き延びたのは ・・・ ただ 一人だった。

その後、毎年のようにレイテ島に通い、約3.000体の遺骨を収集した。
仲間に生かされた ・・・・ せめてもの 恩返しである。

戦争を実際に体験した人にしか分からない事です。  仲間の遺骨収集 ////
どんな想いでなさったことでしょう。 

10人の子供を生み  3人の子供を戦地に送らなければならなかったお義母さん 
どんなに ・・・ どんなに辛い思いをされた事でしょう ・・・・。


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           この世に 一枚しかない  勤兄さんの写真
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      現地の人が当時の日本人の兵隊さんの写真を持っていました
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    今も 戦争で使われた 機関銃がひっそりと、置かれてました。
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                お兄さんの 慰霊巡拝墓参にて 弟の主人           
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by noripdaiana | 2007-04-08 21:35 | Comments(6)